高3 寮生日誌

 

四月三日

春休みが終了し、いよいよ三年生としての生活が始まりました。「受験」というワードがより明確に、より近い存在となりました。そんな中でまず行うべきことは、生活習慣と意識の変化です。今まで暇だと思っていた時間、無駄にしていた時間を全て勉強の時間へと変えていかなければならないと思います。例えば、バスや市電に乗っている間や授業の合間の時間を有効活用し、効率的に学習をしていく必要があると思います。
 また、意識を変えていく必要もあります。三年生が卒業して自分たちが受験生となったにも関わらず、クラスとしても個人としてもその自覚が薄いように思われます。その空気に流されていくと、アッという間に時間が過ぎていきます。そのようにならないためにも、受験生であることを強く意識しなければならない。

 

◎四月十日

 気付いたら、もう先輩という存在がいなくなっていました。もう受験生です。合格する気がしません。しかし、この春休みに塾に二週間程行き、受験生としての意識が強まり、すごくエンジンがかかりました。

 また、先日、部屋員に「浪人したら芸人になったら」と言われました。確かに、「それもありだな」と思いましたが、現実的に考えて、本当に危機感しか感じませんでした。これからは真面目に全精力を注いで勉強していかなければと思いました。
 今日は久し振りに部活があり、来週には大会があります。他校の選手は本当に強くて、相手になりません。あと一週間、部活を頑張って、一勝ぐらいはしたいと思います。

 

四月十日

 とうとう最高学年になってしまった。高三である。プレッシャーがヤバい。色んな物に押し潰されそうである。時間という物は物凄く意地悪で、こんなにも早く高校生活を終わらせようとしてくる。なんて意地悪なのだろうか。入学したのがつい一週間前なのではと思ってしまう。もっと長く高校生活を楽しみたいと思っているが、これより大学は楽しく、時が進むのが早いのだろうと思う。そう考えると物凄く楽しみになってくる。大学に行ったら、外国に行ってバイトしてサークルや部活に入って色んな事をしてみようと思う。というように大学に行った後の事はいとも簡単に想像できるが、逆に大学に行く前の事はまるっきり想像できない。これは駄目な気がする。今は、合格する前の事を考えなければならないと思う。どのように勉強して、どのように点数を伸ばしていくのか、しっかりとプランを立てていかなければならないと思う。
 今日、実力テストが終わり、次のテストまで約一ヶ月ある。この一ヶ月をどう使うかが勝負であると思うし、これから先もテストとテストの間の時間を上手く使えるかが合格する鍵になるのではないかと考えている。これもまた、“考える”のは簡単なんだがな・・・勉強しよ。

 

四月十一日

 ついに高三となった。高三になってしまった・・・。
 学校が始まってから約一週間経った。実力テストが終わったところだ。実力テストは今年から成績に加味されるようになった。英数国理が理系には課された。すべて復習をしっかりしていけば解けるはずの問題が多かった。あまり出来は良くなかったような感覚なので、そこをこれからの改善点としたい。英語や数学は範囲が広く膨大なので、毎日コツコツと積み重ねていくしかない。英単語や古文単語は、毎日やらないといけないと分かってはいるけれども、机に向かっている時、椅子に座っている時は取り組むのを忘れることが多々あるので、移動時間や学校の授業と授業の間のスキマ時間を活用するように心掛けている。英単語は約千九百、古文単語は約三百と物凄く多いので、一日で完璧に覚えようとせず、どうせ短期記憶で最初の方は終わってしまうので、何日も繰り返しやるように何周もやって短期記憶から長期記憶に結び付けたい。
 約この八ヶ月が人生の半分以上を占める、決定するといっても過言ではないので、計画性、創造力、行動力を働かせて勉強するしかない。

 

四月二十日

 今年で高三になってしまいました。高三になって変わったことをあげるとすれば、まず教科です。僕は私立文系コースに進んだので、理系科目と完全にお別れです。非常に嬉しいと思いつつも、少し寂しいです。なぜなら、一日中、英語・社会・国語の三教科をやらないといけないからです。

 その他にも、今年になって急に空気が変わりました。みんな受験モードといった感じです。こんなんだと自分が今年、評定足りるか不安です。
 部活は最後の一年なので頑張っています。毎朝上げるダンベルはしんどいですが、少しずつ筋肉が付いていっている気がします。高三なので、スタメンになれるよう必死に頑張りたいです。

 

四月二十五日

 今日は午後から五稜郭公園に行った。午後七時くらいに突然ラーメン欲が湧き、豪めんに行った。まさかそれが大きな後悔を生むことになるとは、この時は思いもしなかった。        豪めん味噌を頼んだのであるが、なぜ野菜増しにしてしまったのか?O君も野菜増しにしていたからであろうか・・・。自分は同調圧力に屈してしまった。十分ほどしてやってきたお待ちかねのその一杯は、驚くべきほどのもやしの山を形成していた。これがジャパニーズ・モダン・ボンサイか。感無量なり。自分が野菜の山を次々と攻略している最中、時計をみると十九時二十五分ちょっとであった。神よ!!何たることか!!否、これは試練にほかならない。山の先には気が遠くなるほど長い一本道が広がっていたのだ。恐ろしい。ラーメンを食べ終わり、店を出たのは十九時三十五分。電気がほぼない遊歩道を駆け抜けて、腹を痛めながら、命からがら門限に間に合ったのである。非常に危ない賭けであった。ラーメンを追って時間に追われた訳であった(上手いこと言おうとしたが、あまり上手いことは言えなかった)。

 

四月二十六日

 今回は、今年の春休み(三月十一日)の出来事について書こうと思う。この日は僕にとってとても記憶に残る一日だった。学校が終わり、僕は十三時発の東京行きに乗り、帰省した。両親は弟の卒業式に出席するため入れ違いとなって函館に来ていた。つまり、この日は完全にフリーだった。いつもであれば、空港まで迎えに来てくれているため自由な事ができない・・・。さて、空港に着いた僕は、初めに羽田空港内の病院に行き、航空身体検査を受けた。特に問題はなかったが、血圧が高めなので、日頃の生活を見直そうと思う。次に東京に来て、親もいない・・・となったら行くところはただ一つ。帝国ホテルだ。

 ここから先は親には秘密の話。ここでも、いつもとは違う様々な出来事が起こった。まず一つ目は、ホテルショップに行ったときの話だ。コロナの影響で帝国ホテルに行けない僕は、帰省ごとに羽田空港まで荷物を届けてもらっていた。そんなことをやるお客様は珍しいのだろう。ついに名前を憶えられた!!驚いた半面、すごく嬉しい出来事だった。こちらの事情もよく知っているらしく「次はいつ函館にお帰りですか?」と言われた時には、さすが帝国ホテルだと思った。
 二つ目は、レストランでの出来事だ。その日は、かなり混雑していて僕はカウンターに案内された。そこまでは、まぁいつも通りの話だが、この日は隣に変なおじさんがいて、メニューを聞いてから、会計するまで僕にずっと話しかけてきた。そのおじさんは、税理士をやっているらしく、毎日、夕食を帝国ホテルに食べにくるらしい。このおじさんが僕に話しかけてきたことは、常に「東大に行きなさい、そして大蔵省に入りなさい。そうすれば将来決まっちゃうんだから・・・」と言ってきた。せっかく帝国ホテルに来たのに食べた気がしなかった。帰る時に周りを見ると、僕以外に誰もいなかった。帝国ホテルの人も、このおじさんには困っているようだった。最後に支配人が謝りに来たが、僕にとっては良い思い出となった。これが一連の流れである。楽しい一日だった。

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