高校二年 寮生日誌

 4月13日(日)

 新年度が始まって10日以上経ちました。新年度になって色々感じることはあるのですが、折角ですから私の故郷の言葉津軽弁について書こうと思います。津軽弁と言えば「汚い言葉」「荒っぽい」「みっともない」などの印象が強いようです。津軽出身の人にも、自分たちの言葉に対する強いコンプレックスを持つ人も多いそうです。けれども、人は言葉をもって物事を考えたり感情を表現したり、子供に物事を教えたりします。つまり、自分たちの言葉を否定することは、自分たちの精神や文化、さらには自分たちの祖父の歩んできた歴史さえ否定することになります。マルクス主義者等がこのようなことをするならば、もはやどうしようもありませんが、普通の津軽人がそうする必要はありません。郷土愛のない人が津軽で政治家をやっても栄えるでしょうか?津軽の民に郷土愛がないから津軽が発展しないのです。地理上の問題ではありません。

 ところで、津軽弁に対する印象で「荒っぽい」「みっともない」というのは個人の感じ方の問題ですが、「汚い言葉」というのは間違いです。津軽弁に敬語は存在しないと思われてしまうことがよくあるのですが、弘前の城下には主に武士が使っていた独自の敬語表現が今も残っています。「です」は津軽弁でも使いますが、否定形は「でせん」が変化した「でひぇん」を使います。「ございます」は「ごし」、否定形は「ごへん」、「ます」には「し」で、連用形接続です。敬語も独特ですが、発音も変わっています。ハ行音は、17世紀ごろに「ファ」「フィ」「フ」「フェ」「フォ」から「ハ」「ヒ」「フ」「へ」「ホ」に変化したとされるのが一般的ですが、津軽弁ではその変化が起こりませんでした。「チ」と「ソ」、「シ」と「ス」、「ジ」と「ズ」を区別せず、それぞれ「チ」「シ」「ジ」となります。他にも特殊な発音があったり、単語やアクセントも山の手言葉とは大きく違うのですが、書ききれないので、これくらいにしておきます。私は津軽弁が後世に残ることを願います。

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