高3寮生日誌
◎八月十八日
気が付けば卒業まであと六ヶ月もない。僕の函ラサ生活は、あと少しで終わりを告げる。思い返せば、色々苦しい思いをしながらも楽しかったものだ。
もうすぐ高三は最後の実力テストがある。高三にもなれば、何かと「最後」が多い。どれも悔いの残らないようにしたい。この実力テストは今までの総復習でもある。受験に向けて、ひたむきに取り組みたい。
さて、そろそろ僕の思考が受験一択になってきたので(遅すぎるだろ・・・)、僕の受験のモチベーションの話を一つ。かなり昔からの友人(僕は親友と思っているが、相手はどう思っているのやら)から久し振りに手紙が届いた。その中にはなんと、第一志望が「名大」だとか。親友が頑張るのであれば、僕も頑張らなくては。そうやって僕はモチベーションを上げる。そうすると、やはり自分だけでモチベーションを維持するよりもかなり楽だ。その分、追い込めるところまで追い込みたい。
また、僕は寂しい気持ちにもなっている。仲良くしてくれた同級生や良い後輩達と離れ離れになるからだ。そう感じるだけでもこの六年間はとても良いものだったと分かるし、良い人々に恵まれた。残りの日々を今まで以上に大切に過ごしたい。
◎八月二十三日
勉強しかしないような生活にはなっていないが、常に勉強の意識を持ててはいる。ずっと頭の中で「勉強しなきゃ、勉強しなきゃ」という意識がグルグルしている。焦っている。
塾や学校の自習室等の勉強をすべき場所で体を椅子に縛り付けるといった表現が正しいが、そんな勉強方法であるけれども勉強量は確保できるようになったものの、どうしても質がそれに伴ってこない。ついフッと力が抜ける。怠けたくなって手が止まるときがある。一時間に五分程の休憩ならばそれで良いのだが、頻度がやっぱり多い。「常に多くの逃げ道を用意していないか、逃げ道は絶対に必要だけど、追い込むときは追い込まなきゃ」と言われた。その通りだと思う。言い訳とか理由をつけて、ずっと休んでいるようにも思える。
成果のない勉強ならしたくはないし、出来ることならずっと遊んでいたい。しかし、ずっと遊んでいるような生活は短期的には楽しいが、長期的に見れば、きっと無気力で辛いと思う。そして何よりこれまでの努力が無駄になってしまうのがとても怖い。別に目標=成功=幸福とは限らないし、合格したからと言って、それでずっと幸せでいられるとも限らない。大事なのは入学後、卒業後だと思っている。まずは一歩目をもう少しだけ頑張りたい。
◎八月二十六日
今日はラグビーの試合でした。毎回毎回、レフリーの疑惑の判定に頭を抱えることになるが、今回も同じ結果となった。周りから見て明らかなミスジャッジの連発だった。しかもラ・サール側が不利になる判定がほとんどだった。そもそもレフリーが相手選手に指示を出したり、労ったりしているのを見ると、レフリーもだいぶ相手寄りなのだと思った。しかしラ・サールとしてもミスが多かったのは事実なので、今後の試合に向けて、よりミスを減らしていく努力をするべきだと感じた。
コロナ禍で残された時間も短いので、部活のできる環境に感謝し、最後まで悔いの残らない生活を送れるように一回一回の部活に全力で取り組んでいこうと思った。
◎八月二十八日
部屋に推薦の準備をしている人が二人いて、医大の推薦を考えている人が一人いる。残る一人は高三の夏が終わりかけに差し掛かっているのに未定のままである。進路を決めかねている。その一人は夏休み前までは医者になることを目指していたのであるが、何かしら考えることがあり、医学部以外の進路にすることにした。しかし中学の頃から医学部を考えていたために医学部以外の進路についての研究は全くしていなかったので、具体的に何に興味があるのか、どのような職を目指すのか、全く見当が付いていないのである。その一人に特に得意とする科目や高い事務能力、熱心に打ち込んでいる対象があるようには思わない。進路の決定には時間がかかることがよく分かった。