高2寮生日誌

■二月一日  

気付けば二千二十一年が始まってから、早くも一ヶ月が経ち、今日から二月が始まった。三年生は今日が卒業式で、ほとんどの人が寮を去っていった。これからは最高学年として自覚を持って生活しなければならない。  話は少し脱線するが、僕は小学校一年生の頃から話を聞くことが苦手だった。特に始業式や終業式の時の校長先生の話は苦痛でしかなかった。しかし、こんな僕でも覚えている話がある。この話は決まって冬休み明けの始業式に話されたことで、小、中学校九年間、計五人の校長先生が必ず言っていたことだ。「一月は行く月、二月は逃げる月、三月は去る月」。このリズム感の良い言葉を九年間、たとえ校長先生が変わっても言われ続けた。これまで、こんな事は気にも掛けなかったが、最近になってこの言葉を思い出すようになった。ここで、冒頭に戻るが、つまり、年が明けてから時間が経つのが早いのは当然であるということだ。なるほど、年が明けて二週間後には共通テストがあり、その三週間後に卒業式で、二月末には二次試験があるということは、ちっとも時間を無駄にはできないのだ。来年は自分がこの生活をすることになる。どうせ、二千二十二年になってからも息のつく間もなく二次試験まで駆け抜けることが分かっているのなら、今年からその準備をするのが大事である。私の二千二十一年の抱負は、「優先順位をつける」なので、それを完璧にこなし、難しくなる勉強に喰らいついていこうと思う。

■二月二日

 このご時世、なかなか遊びに行くことができない。しかし、我慢の限界に達した僕はとうとう一人旅を始めてしまった。モチロン、コロナ対策は十二分にしました。  
 今回の(プチ)一人旅は、道南いさりび鉄道に乗ること。あくまでお試しとして、函館から七重浜まで乗ってみることにした。前日からの雪が止み、晴天の函館駅へ市電に乗って向かった。切符とコーヒーを手に改札をくぐり、二番ホームで僕を出迎えてくれたのは、一両のディーゼルカー。キハ40-1807だった。タラコ色と呼ばれる朱色が雪景色によく映える。乗り込んでみると意外にも人が多く、ほぼ満席だった。十三時四十九分、エンジンがうなりを上げ発車。ポイントの多い構内を抜けて加速したと思えば、もう五稜郭だ。四月に廃線になる日高本線向けの車両がいた。近いうちに解体だろう。悲しいものだ。高校生が四人程乗り、列車は函館本線を離れ海峡線へ。すぐに七重浜に着き、列車を見送ったあと、札幌行きの貨物列車を見て帰路についた。次は終点の木古内まで行ってみたいものだ。

 

■二月二日

 受験まで一年を切った。そして三年生が卒業した。この二つの事から、僕はとても焦っている。個人的に僕は私立に行きたくないし、浪人もしたくない。国公立しかないのである。加えて、僕が目指している大学は、旧七帝と言われている大学の一つである、北海道大学である。身近にありすぎて、そこまですごい大学には見えないが、共通テストのボーダーを見る限り今の僕には絶対に無理であることが分かる。あれだけ難しい問題で約八割取らないといけない。数学しかそのボーダーを超えていない。数Ⅰは八十、数Ⅱは九十。要するに北大はやばい。共通テストを何とか乗り越えても、北大には二次試験という大きな壁が待ち構えている。  
 僕らはもう二ヶ月も過ぎたら高三になる。新しい部屋員と仲良くやっていけるか不安しかない高三である。この不安を力に変えていきたい。

 

■二月三日

 二月一日から帝国ホテルで新しいサービスが始まった。部屋で勉強していたらOが呼びに来て、ニュースで報道されているところを見た。月初めは新しい情報がないかHPをチェックすることもあるのだが、今回の情報は全く知らなかった。
 さて、このサービスだが、普段の帝国ホテルではありえない。一泊五万円は最低でもかかる帝国ホテルが三十泊三十六万円で泊まることができる。まさに夢のような世界である。もし僕が東京に住んでいたのであれば、帝国ホテルで朝食を食べ、洗濯をしてもらい、通勤しているような生活が実現できたのでは・・・。まぁ三十六万円は手が出せるような金額ではない。しかし、HPで予約状況を見てみると、世の中のセレブ人はすごいと思う。一日も経たないうちに七月までの予約が全て満室となっていた。いったい、どんな人が予約しているのだろうか。芸能人とかであれば、ホテルに一年間住む人もいるという話もきく。少しでもいいから僕に分けて もらいたい。

 

■二月十日

 一月が終わり、三年生が卒業してから約一週間が過ぎた。寒さも納まる気配がなく、朝から夜まで雪が降りしきっている日もある。そんな季節の中、自分が「受験生」であることを自覚しなければならないと思う。しかし、突然言われて変われるならば、苦労などしない。自分自身、変わるべきだと分かっていても、それを行動に移すことが出来ていなかった。義務自習の時間のみ勉強し、後は暇を持て余すような生活を送っていた。しかし、それではダメだった。以前、模試を受けた。その時は、何となく受けていたが、結果を見て焦りと不安を覚えた。自分と同じ大学志望者の数、そしてその中での自分の立ち位置、そのリアルな数字を前にして血の気が引いていくのを感じた。
 自分ができることは何か?を分析し、努力しなければ何も変えられないと気付いた。

 

■二月十六日  

 先日、部屋移動がありました。私の部屋はメンバーは変わらず、部屋の位置が少し変わっただけでした。多くの部屋のメンバーが変わり、気持ちも新たに「あぁもう高三か」と思いました。幸い私の部屋ではトラブルは起きず、喧嘩などは起こりませんでした。中学生の時は部屋員ではなく班員というものを決めるのですが、一年も経つとほとんどの班が喧嘩などで崩壊していました。しかし、高校生にもなると、特に内進生はあまり仲が悪くなることが少なくなりました。中学生の時はくだらない事で喧嘩していたと思うと、本当に成長したなと思いました。 また、中学生の時OBの講演会などでよく「中学生の時にもっと勉強しておけば良かった」などという事をよく耳にしていましたが、本当にその通りだと今改めて思いました。過去の自分にこう言ってやりたいです。少年老いやすく学成り難し。まぁこの話は置いといて、今年も一年間、部屋員と仲良く切磋琢磨していきたいと思います。

 

■二月十八日

 最近、寮外で勉強することにハマっている。と言ってもシエスタの四階のGスクエアか中央図書館なのだが。外でやるメリットとしてはまず周りの人もやっているし、「ガチで勉強」というプレッシャーがヒシヒシと伝わってくるのだ。これがあると「少し休もう」と思っても何か「もうひと踏ん張りー」と持続できる。  
 また、休憩の時にあまり誘惑がないことである。図書館は本があるものの、寮と違って漫画があまりないので沼にハマることはない。そして何より静か。マジで集中できる。飯はミスドを使えば三百円ちょいで腹は満たせるので、自分へのご褒美にスタバによる余裕だってなくもない。僕は外に出ることがリフレッシュになるので、なおさら集中できている。行き帰りの市電もちょっとした楽しみだ。知り合いが増えると微妙かもしれないが、たまには外で勉強するのもどうだろうか。

 

■二月二十二日  

 明日から学年末試験1週間前になります。今回は古典と生物、演習英語がすごく怖いです。また、副教科では情報が不安です。このテストで赤点を取ってしまうと、部活に影響が出てしまうので、何があっても取れません。全くテストというものは、嫌ですね。  
 勉強のつながりで言うと、大学をどこにしようか、まだ迷っています。私は関西の大学に行こうと思っていました。当初、部活の先輩が多く行っているD大学に行こうと思っていましたが、顧問に薦められKG大学に行こうと思いました。しかし調べていくと、英検が必要らしく、私は持っていないので、キツそうです。そのことを顧問に言ったら、呆れられて、天理大学を薦められました。本気で部活をやりに行くには良い所だと思うのですが、親が黙って認めてくれるとは思いません。この春休みは、親と戦うことになりそうです。

 

■二月二十六日  

 部屋移動もアッという間に終わり、ついこの前の月曜日に中3が高校寮に来て、気が付けばテスト5日前・・・。いつも通り時間がない。2週間前から始めたはずなのに時間がない。こんな感じでは受験に間に合うのであろうか・・・。  
 函館の気温は、上がったり下がったりで、プラス気温の日が増えてきており、太陽が出る時間も日々長くなっている。「春遠からじ」とは、このことを示すのか。でも寒い。      テストまであと少しとなった。ここまでくると、「やばいやばい」となって夜しか寝れない人と「もういいや、大丈夫でしょ」という謎の余裕をかまして昼も夜も寝る人、「いつも通りやるだけ」とクールに決めつつ陰でメッチャ努力しているすごい人など、ある程度のお決まりパターンとして学年全体に表れてくる。自分は、きちんと努力して「表はクール、裏は努力家」をしたいところだが、残念ながらいつもアタフタしてしまう。こんな感じでは、受験に間に合うのであろうか・・・。
 こんな心配しても始まらないので、日々努力して第一志望の大学に入れるようにしようと思う。寮生活はあと10ヶ月。悔いのない生活を送りたい。

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