高二寮生日誌(十一月二十二日)

 


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現在僕は日本史を勉強していますが、大学では政治思想について学びたいと考えています。僕が文系を選択した主たる理由も、そこにあります。そもそも「正しさ」の悟りを得るためには、知識、経験と共に透明な心が必要です。物事の暗記だけでは道具にしかすぎません。

たとえこのラ・サールで優秀な成績を取っても、発信される正しさが間違っていれば、この世の善悪を判断する心は得られません。現に、憲法を解釈、解読するための憲法学は嘘つき、ごまかし、言い逃れの政治家、官僚を量産してきました。だから、正しき心の指導に従う良心、即ち透明な心を持つことが必要なのです。

しかし、僕にはあまりにも知識が不足しています。政治学における知恵や歴史上の政治システム、戦争史、政治思想の勉強をしなければいけないという使命を僕は常に感じています。

過去の歴史ばかり発掘して、学問をやっているつもりだけでは悟りは得られません。地味ではありますが、謙虚さ、精進の心、誠実な心も宗教的知性において必要です。だから、法学、政治学、経済学、国際関係論などを学びつつ、宗教、哲学を学ばなければなりません。長々と書いてしまいましたが、要するに「法の窮極にあるもの」を知るために、今、勉強しなければならないと思っています。

友人にはこんな話はしませんが、少しでも多くの人がこの思いを共有してくれることを心から願っております。

 

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「別腹」というものが実際に存在するのを知っていましたか。「デザートは別腹だよ」誰でも一度は聞いたことのあるセリフだと思います。ではどうして別腹が生まれるのでしょうか。人の脳には「お腹いっぱい」と感じさせる満腹中枢と「お腹がすいた」と感じさせる摂食神経というものがある。おいしい食べ物を目の前にすると脳の前頭葉が満腹神経ではなくて摂食神経にスイッチを切り替える命令を出すためである。これが一つ目の別腹だ。

二つ目の別腹は胃に物理的なスペースを作るというものだ。それは脳内にオレキシンというホルモン物質が出て胃や腸の動きが活発になり、胃を満たしていた食べ物が腸に押し出されて、胃の中に新しい隙間ができるという。

もしかするといわゆる大食いと呼ばれる人達は別腹のメカニズムを使いこなしているのかもしれないと思った。自分もこれを使いこなすことができたら、もっと効率よく太れることだろう。それと同時に、大人になってからは健康の為にも別腹を使ってデザートを食べ過ぎるのはやめようと思った。


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人間の多くは「文字」を持つ。人間は文字を使うことにより何かを記し、また、何かを伝えてきた。文字というものは、国、地域の違いはあれ、人と人とをつなぐ最も重要なツールの一つである。

例えば、私たちが活字の本を読むとき、その一文字一文字を追う中で、筆者の思い、主人公の気持ちを想像し、心を動かす。それは、映像では感じることのできない本だけにある醍醐味だろう。とても良い。

しかし、当然のように本が読めるのは「読める字」だからだ。何が言いたいのか。それは「字、奇麗に書けていますか?」ということだ。

試験などがマーク式になったり、私たちの生活の中で「字を書く」という行為が少しずつ無くなってきているように感じる。コミュニケーションをとる中で、話すことと同様に「書くこと」もこれからの人生の中で大事なツールになるだろう。って汚い字で書いても説得力ないな(笑)

 

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