高2寮生日誌より☆(10/8~10/10)☆
□ 十月八日(日)
前期末テストが終わって、短い秋休みが終わって、十月一日から後期が始まって、今日で早くも一週間が過ぎた。
毎年、この時期になると夏の暖かさは一気に去っていって、冷たい風が昼夜問わず吹き続けている。秋風なんてもんじゃない。
本州出身の人間からしたら、もう完全に冬の中盤位の冷たさだ。僕から言わせると、北海道に秋は存在しない。夏を過ぎれば後は春先までずっと寒い。
中学一年の頃には、「降れよ、降れよ」と願っていた雪は、高校二年の今となっては、グラウンドの雪かきトレーニングだけは何としてでも避けたいので、「絶対に降らないでくれ」と願う様になった。人の楽しみはずっとは続かない事を痛感している。
それは別として、後期に入ってこうも時間が過ぎるのが早いものかと最近よく思う。ちなみに次の定期試験まであと一カ月もないという噂も最近よく耳にするけれど、僕の記憶が正しければ、この間、前期末試験をようやく終えたばかりなので、恐らく気のせいだろう。
とにかく、最近になって高校三年生の雰囲気がピリッとした様に感じる。来年は自分達の番かと思うと、やっぱり「時間が無い」と改めて感じる。
□ 十月十日(火)
「価値観は人それぞれ違う」、この言葉はこの世界において、今もこれからも、もっと大切になってくるだろう。
僕は今年の夏、タイにボランティアに行って来た。幼稚園児程の小さい子供たちばかりいた。その子たちは無国籍で、当然、所得も低い。
僕は日本の高校生で、何不自由なく生活している。今回は高校生がボランティアをするので、金銭的な援助は殆どない。なので、一週間、一緒に遊んだり、日本食を作ってあげたりした。
ここで考えてみよう。僕たち、恵まれている日本人は、今、挙げたボランティアをされて喜ぶだろうか?
僕は、喜ばないと思う。なぜなら、僕たちは最低限のものは全て手に入っているから。例えば、海外に行く、スマホを持つ、学校に通う、就きたい職に就くとか、自分たちが当たり前にしてきた事だ。タイの子供たちは、僕たちの当たり前が、当たり前ではない。
僕は昨年、JICAのボランティアの現場を、日本の高校生代表として間近で見てきた。内容は、学校を作った、下水処理システムを作った、大学を作ったなど、素晴らしいものだった。
僕の今回のボランティアの内容は、一週間、全力で触れ合ったこと。最後に僕が言いたいこと。それは、一人の人間に対しては、どちらのボランティアが相手にとってされて嬉しいか? 日本人の目線ではなく、タイの無国籍の子供たちの目線で考えて欲しい。
僕たちは、どこか日本人の目線で考え過ぎていないか? 貧しい人々を一括りにしていないか? 一人の人間として見ているのか?
□ 十月十日(火)
秋休み前に球技大会という行事があった。コロナ前に戻り、学年対抗でバスケ・バレー・サッカーの三種目のスポーツで試合をした。
自分はバスケを選択し、特に優勝は目指しておらず、皆で楽しめたら良いなと思っていた。実際、始まってみると、普段一緒にバスケをしない先輩・後輩たちと楽しさを共有出来て嬉しかった。
そんな中、二-Dと対戦する事になった。相手チームのメンバーは、元バスケ部、現バスケ部の人たちで固まっており、本気で優勝を狙いにきていた。
その様なクラスが現れることは分かっていたが、さすがにズルが過ぎると考えていた私自身も、本気でやりたいのだなと思った。
結果は、我ら二-Aが負けてしまった。自分たちは現バスケ部が二人、運動神経が良い三人を入れて、良く頑張った方だなと思う。
球技大会が終わり、担任の先生からスポーツドリンクをもらった。他のクラスでは焼肉コンパをするという情報が耳に入り、自分たちはスポーツドリンク一本か…という、少し虚しさを抱きながら幕を閉じた。まあ、楽しめたからいっか…。