高校三年寮 寮生日誌(5月10日)

 5月10日(水)

 どうせドミトリィには載らないって分かっているので、どうでもいいことを書きます。そもそもどうでもいいことって何ですか?一般的にはどうでもいいことってどのようなことを指すのかというと、それをやる意味を感じなかったり、または興味がないということです。なぜ意味を感じないのか。それは寮生日誌を書いたところで受験の役には立たないからです。日誌を書くくらいなら小論文の練習でもしたほうがいいです。そして、書くのに時間がかかるからです。小論文は先生に提出したら採点してもらえるけど、日誌は何も起きません。時間が一時間ほど無駄になってしまうだけです。最近僕は忙しくなりました。どうでもいいことに時間を費やすことが罪深く感じます。もしその一時間が受験の勝負を分けたとすれば、寮生日誌を書く義務を生徒に課すことはどれほどの責任か伴うのでしょうか。僕が先生だったらやりません。とまぁ、前置きは置いておいて。二つ目。なぜ日誌を書くことに最近の子供は興味を持たないのか。それはインターネットの拡大によって興味が拡散し、決まった流行がネットに移行したからです。現実での出来事を、日誌は記すものなので、次第に日誌を記すというアナログ文化はなくなりつつあるのです。そして、自動変換機能に頼り切った日常生活は漢字のボキャブラリーを著しく低下させていきます。この二つの理由によって、日本人の国語力は悪くなっているのかもしれません。アナログも時には大事ですね。でも忙しいのです。それは本当なので、最初から書いてくれそうかつ載せられそうな文を書く人に頼んだらよいのではと思います。

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