新高校二年 寮生日誌(4月23日)

 4月23日

‎楽しかった中学校生活が終わって、気づけば高二の春。函ラサでは上‎‎から数えて二番目の学年になっていた。今でも、心が中学生なのだが、気づけば来年は受験。そして成人。

多分、成人するということは、自分の行‎‎動に責任が伴うということだと思う。僕はまだまだ心がガキだから成人することが心配だし、そもそも成人は二十歳からで良いと‎‎思っている。

成人になるということも大事だが、一番大事なのは受験。中学受験が終‎‎わり、やっと勉強から解放されたと安堵し、ゲームしまくっていたのも、も‎‎う四年前の話。あの頃は六年後なんて想像できなかった。今も想像でき‎‎ないけど、どうやら来年の話。僕が人生で嫌いなことのトップ一位と二位が勉強と努力。よくこんな‎‎んで、進学校四年間もやってこれたなと思っている。

でも、なにも学ぶことが勉強だけだとは思っていない。函ラサで学んだ大‎‎きなことは、やはり寮という小さな社会で生きていくこと。同じ空間で生きていくからこそ、普通の学校より友人との関係、距離感‎‎が大事。そして、とにかく他人と話してみるというのは大事だとわかっ‎‎た。僕が人生で苦手なことのトップ一位と二位が人に話しかけることと‎‎人との距離感を上手く取ること。大事なことが人生で一番苦手だった。‎‎でも、なんか、なんとかなるもんだった。


4月24日 

どんなことにおいても、経験は宝となる、僕はそう思っています。

きつい部活の練習も、自主的による筋トレやランニングも、料理、手芸といったものまで、やっておくことで、どこかで必要になる、簡単にできるようになる、楽が出来る、そう思えるのは、親がそういう人だからでしょう。

同じ親の下で育っても、見ているもの、やったこと、感じたこと、世代、兄弟であってもそういったことで考え方も変わってきます。

僕や兄は少なくともそう思っていますが、弟は、どうでもいいようでした。様々な体の動かし方、技術、意識すること、これらは無意識にも生活や部活などで使われています。体の動かし方は特に出てきやすいと思います。運動神経の良い悪いというのは、こういった経験の差から来ていると思います。

走り方一つにしてみても、誰もがきれいに走れるわけではありません。何度も走って、走って、走った結果、効率の良いキレイなフォームになっていくのですだから、運動神経が悪いからといってすぐに諦めないで欲しい。そういう人は諦め癖がついて、全ての事ですぐに諦める。だから、それでいて頭の良い人は見たことがない。何事も経験して、諦めない、これが、できる人になる第一歩だと僕は思う。


4月24日

最近、暖かくなってきて晴れの日も増えてきた。春の訪れが感じられる。

春といえば桜だ。私は今日友達と一緒に五稜郭公園の桜を見てきた。

毎年行っていた弘前公園の桜祭りに比べると見劣りするものがあったが、それでも十分に綺麗だった。人も多く和やかな雰囲気だった。今日はとても気持ちの良い日だった。

新年度が始まり約三週間が経過し、新しいクラスにも慣れてきた。今年度からは、理系と文系で分かれて、内進生と高入生の混合クラスになる。そのため、初めて話す人も多くいた。しかし割とすぐに馴染むことができた。

前から仲の良い人だけでなく、あまり話さなかった人とも話して、少し仲良くなれた気がする。

四月に入ってすぐ実力テストがあった。そのテストで私はあまり良い成績を取ることが出来なかった。赤点を取っていないが、今回のテストは一年生の総復習のようなものなので、一年生の内容がしっかりと定着していると言えない状況です。私は志望大学が決まっているので、その目標に向かって、努力を怠らずに日々の積み重ねを大事にしていきたいです。




このブログの人気の投稿