高二寮生日誌(5月9日)
春と言えば恋愛。今日は「恋愛」の中の「恋」と「愛」の二文字の違いについて考えたい。恋と愛の違いについて人に聞くと「恋は心が下にあるから下心があって、愛は心が真ん中にあるから真心がある」なんてことを耳にする。
しかし、私はそうは思わない。恋に下心があるなんて思わない。私は、恋は一方的なもので、愛は通い合っているものだと思っている。しかし、告白の際に一方的な気持ちで「私はあなたを愛しています」なんて言っても別におかしくない。むしろ気持ちがこもっていて良い。恋と愛の違いは実は言葉の違いだけで同じものではないのか。結局考えたところで謎は深まっていくばかりだ。
人生において思春期と呼ばれる時期の大半を男だけの空間に身を置いている私達にとって恋と愛の違いなんてどうでもいいと思うだろうが、男だけの空間だからこそこういうことが考えられるのではないだろうか。
「恋」と「愛」の違いとは…。(5/8)
今回の寮生日誌は書くことがないので、同室のH.S 君が考えた「愛と恋の違い」について書こうと思います。
まず最初に、辞書で愛と恋について引いてみると以下の様に出てきます。
愛…対象をかけがいのないものと認め、それに引き付けられる心の動き。またその気持ちの表れ。
恋…特定の異性に強く惹かれ、会いたい、独り占めにしたい、一緒になりたいと思う気持ち。
僕の考え方では恋は愛に至るまでの過程で、それを終えた後、愛に変わると思う。具体的にどこを恋の終わりとし、どこを愛の始まりとするかは人によって違うと思う。ただ僕は一つの区切りに結婚というものがあると考える。結婚に至るまではその人を「好き」だが、結婚するとその人を「好き」というよりも「愛している」というもっと強い表現をすると思う。
だからドラマなどで、結婚式の時、「何とかさんのことが好きですか?」と聞かずに、「何とかさんのことを愛していますか?」というのだと思う。将来は僕も恋をして人を好きになり、それから愛せるような人に出会いたいなと思う。(5/8)
この寮に来てからというものの様々な形の愛を見てきたと思う。先生方の愛。寮母さんの愛。先輩の愛。後輩の愛。友人の愛。そして保護者の愛。
それらは多くの道を経て私の所へやって来る。結果、洗練されたそれらのその見てくれを形容するのは筆舌に尽くし難い。温かかったり、冷たかったり。とがっていたり、優しかったり。臭かったり、美しかったり。
おおよそ彼の持つ愛を見れば、そいつがどんな奴かは分かるようになった。考えてみれば当たり前だ。五年も一緒に居ればね。そこには色んな奴がいた。強い奴がいて、弱い奴もいて、すごい奴も駄目な奴もいて、良い奴も嫌な奴もいて、分かりあえる奴も、分かり合えない奴も、よく分からない奴もいて。
何だかラ・サールって感じだ。(5/8)