高2寮生日誌より(9/25~10/10)

 □ 九月二十五日(金)

 夏休みに劇場を訪れた時、面白い体験をした。チケットをスタッフに示して入場した時、何となくサマセット・モームの『人間の絆』の一場面を思い出した。ミルドレッドが主人公から逃げるためにお金を払って劇場に入る場面だ。極貧の主人公は入場代を払えない。そのことが分かると、ミルドレッドは、にやりと主人公を見返す。この一連の流れを僕は文章ではなく、以前見た映画のワンシーンを想起する様に映像として思い出した。

 よく言われる文学における「映画的描写」というものは、テクストをテクストの枠組みからすら解放するようだ。確かに、ウンベルト・エーコの『バウドリーノ』において、主人公が船に乗ってコンスタンティノープルを訪れる場面は、映画を見ている様に国際都市コンスタンティノープルの栄華に圧倒される。

 しかし、映画ないし、映像技術の成立以前か<映画的描写>は確立されていた。『嵐が丘』や『神曲』そして何より『聖書』やギリシャ神話は、映画成立以前から読者・聴衆に<映画的感動>を与えていたに違いない。

 日本文学においても、紀貫之はかなり映像的だ。「袖ひちて むすびし水の こほれるを 春立つけふの 風やとくらむ」の句などは、夏、冬、春の自然の移ろいを正に映像的に描いている。藤原定家の「駒とめて 袖うちはらふ かげもなし 佐野のわたりの 雪の夕暮れ」などは、現在の映像技術では表現できない程、映画的だ。文学と映像の厳密な関係は興味深い。

 

□ 十月十日(土)

 今日は、明日十一日(日)が駿台模試を受けることになっているため、自分が決めた事ではあるが、休日が一日つぶれるのに落ち込む。また、駿台は他の模試と比べて大変難しいため、不安である。

 今日、高校寮の事務室にある「大学入学共通テストまであと〇〇日」のカレンダーを見ると、九十七日なっており、もう百日を切っている事を知り驚いた。少し前までは二百日くらいあったはずであるが、本当に時間が経つのはあっという間であると思った。

 そして、部屋員のTが最近ケガをして、登下校に車椅子を使っており、押すのを手伝っているが、案外楽しいものである。今日、Tはちょっとだけ、一階の療養室から三階の高二寮に戻ってきたが、さすがに戻ってくるのが早過ぎるのではないかと思った。

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