内高1寮生日誌
◎二月三日
今日は、寮生三人、自宅生五人の計八人で七飯のスキー場へ行ってきました。本当はもう少し来るはずだったのですが、インフルエンザや金銭的に行けなかった仲間がいて残念でした。 六時には起床して準備をし、七時に寮を出て、そこからバスやJRを乗り継ぎ、十時からスキーを滑ることができました。驚いたことにJRのワンマン列車の中の九割五分は、中二から高二までのラ・サール生だったので、本校の学生のスキー好きを象徴しているようでした。リフトに乗っている時間がとても長く感じるのに対し、滑る時間はアッという間に終わるのがスキーの長所でもあり、短所でもあります。この短い時間に重心移動のことなどを如何に把握して成長するかが上達の鍵だと思います。これは受験勉強や部活動など他分野にも当てはまるものです。短い時間にどれだけの収穫があるか、人間の人生はそれに尽きると思います。 また、今回スキーを企画したのは私です。交通アクセスを調べたり、皆を引っ張っていったのは、やりがいもありますし、今後の糧になったと思います。今回学んだ様々なことを自分の人生に生かしていきたいです。
◎二月三日
高三が卒業し、寮は少し静かになりました。寮生活ももう四年目になります。人と接することが当たり前になりました。私達はもう少しで高校二年になります。人生の別れ道とも言える文理選択。私は理系にいくことにしました。何だかんだ文系にも行きたかったですが、理系も好きであり、とりあえず、高三になって気が変わっても何とかなるように理系にしました。 既に四人部屋は決まっており、全員野球部だし、頑張れそうな気がします。部屋に一人勉強ができる人がいるので安心する気もします。今年の部屋の目標としては、文武両道になるような部屋にしていきたいと思います。中二、高二は「中だるみ」という時期と言われていますが、中だるみにならないように高一よりも成長できるような生活を送ろうと思います。 今年はさすがに雪中運動会が出来ると思います(笑)。棒倒しという危険な競技が加わり、初めてやる雪中運動会にしては、熱い運動会になるのではないでしょうか。一回は雪中運動会をしたいです(笑)。
◎二月五日
カレンダーを見ると、もう今年度も残り僅かである。よってこれが高一として書く最後の寮生日誌になるかもしれない・・・ 中学寮に入ってから今まで数え切れない程の寮生日誌を書いてきた。大きなイベントがあった日も、部活で満身創痍だった日も、寝ようと思った矢先に書き忘れていることに気付き、絶望した日も・・・。何を書こうか、とネタ探しに一苦労することも度々あったが、いざこうして節目を迎えると一層書く内容に困るものである。間違っても古典の小テストの点数がどうであったか、とか調理実習の結果がどうだった、などと言う至極平凡でありきたりな内容を書く訳にもいかない。ここはひとつ哲学的な話題を・・・と思ってもどこか気が引けるし、何かズレている気もする。従って高一最後の寮生日誌は、この寮生日誌という存在について述べて締め括ろうと思う。私はこの寮生日誌を書く、という行為が寮生活において非常に重要な意味をなしているとつくづく実感している。 理由は三つある。一つ目は文章を書くことへの慣れ。ただでさえ時間に余裕のない中で、この長い文章を短時間で書くのは至難に思われる。しかし、枚数を重ねるにつれ、文章力が付いてくる。書いている私達本人からしてみれば、非常に厄介な相手であるが、同時に自分達の国語力、文章構成力を高めてくれる良い機会なのである。二つ目は〆切の意識。その日中に提出できなければ翌日二枚提出しなければならない、という悪魔的システムにより、私達は否応なしに〆切に間に合わせるため尽力する。期日を守るという社会人として絶対に求められる能力を中一或いは高一から鍛えられていることになる。最後の三つ目の理由は、自分自身を見つめ直すことができるということ。普段、何気なく生活をしていて、その何気なさを文章に表したとき、思わぬ発見や気付きがあると思う。また、それは他人への感謝であったり、自身の反省であったり、日常生活の中、目まぐるしいスピードで過ぎていく時間の中では自覚するのが困難な事柄が多いと思う。一旦歩みを止め、「自分」という存在に対して向き合うことも時折重要である。故に上記の理由含め、私達に成長の糧を与えてくれる寮生日誌はなくてはならないものだと思う・・・。と、この様に今回の日誌も期日内に無事書き終えた訳であるが、おそらく学年が上がっても書くことになるだろう。その時は思わぬ発見や気付きを大切に、その日あった出来事を綴ろうと思う。
◎二月六日
卒業式の高三の先輩の答辞で「妥協してはならない」というフレーズが心に残った。その言葉は、思い返すだけで悪循環の足止めとなりそうだ。目標達成に向けて行動を起こす上で、一番勝たなければならない相手は、「自分」だと思う。集中が途切れたり、休み時間が終わっても、まだダラダラしてしまったり、そんな自分との闘いの最中に「妥協すんな」というフレーズが頭をよぎれば、我に返れるかもしれない。「こんなんで良いのか?」と自問自答することが自分で自分を強くするということであり、それによって正しい道を歩むことができるというのが本当の強さになるのだろう。これからもまだ臨休があったりするが、学年末前になってくるので、メリハリを付けるために、その言葉を思い出したいと思う。約二年後にある大学入試は、人生の途中経過でしかないが、たったの一、二週間も頑張れないようでは二年後に向けた準備には耐えられないと思う。そのため、今できることを確実に達成していけるように頑張りたい。
◎二月八日
二月十四日はバレンタインデーだ。家族以外に誰からもチョコをもらう予定のない私は、全くの関係がない話だ。昨年も、このくらいの時期にバレンタインデーについて寮生日誌を書いた気がする。昨年は、「この学校だからバレンタインデーは気にしない」と言い切っていたが、やはりそれは現実逃避だった。普通に今は女子からチョコが欲しい。でも、地元に友達すらいない私が期待しても何も変わらない。やはり「男子校に入って良かった」と言うことと、あれれれ・・・となることを四年目にして思い知らされた。まぁ女子がいないからこそできる話があるのは分かる。でも女子がいないとつまらないイベントがあるという事だ。中学生の頃の私が強がっていたことが明白だ。もう今では、三日に一回くらい「彼女ほしー」と言っている気がする。でも、何回言っても彼女はできないので、三次元は諦めようと思う。でも二次元に作ってもバレンタインの日に画面から出てきて私にチョコをくれる訳ではない。どうしよう・・・笑
◎二月十日
憂鬱な時期が来た。とても面倒臭く疲れる。何かと言うと部屋移動だ。僕の整理状況を知っている人からしたら「お前が悪いだろ」とツッコミたくなるだろう。そう僕は中学の頃から寮生の中で一番ロッカーや部屋が汚いと言われてきた。自分でも汚いと思う。だが、整理しても面倒臭さが勝ってしまい、三日後には元通り、断層やブラックホールと呼ばれる何かが出て上がってしまう。自分でもダメだとは思うが、その気持ちが長続きしなかった。そのため今年の部屋員には多大な迷惑をかけてしまった。仲が良かった人で組んだので、多少大目に見てくれていて自分に言わなかったことも多いと思う。そこら辺を我慢してくれたことを感謝したい。来年は自習室が無くなり、部屋に置く物の量が増える。今の状態では勉強できなくなり、色んなことに影響が出てくる。そういうことを頭に置きながら危機感を持って頑張りたい。毎年年度末の反省にこんなことを書いている気がするが、来年は改善したと書けるようにしたい。
◎二月十六日
二寮に全ての物が移った。まぁ整理されている、いないは別として、もう二階のフロアに行かないと思うと少し寂しい気持ちになると共に、「この一年間色々あったなぁ」と改めて思わせられる。ただ、この部屋移動は、自分を寂しくさせる行事ではない。新しい部屋や環境になることで気持ちを改めて、新高二になるための行事だと思う。しかも学年末試験も近い。ちょうど十日前である。「そろそろ気合い入れて勉強しろ」という知らせなのかもしれない。このテストによっては春休みが短くなる人がいるかもしれないが、そうでない人も高一最後の定期テストを悔いなく終わらせて、春休みを迎えたいだろう。だから今こそが、そのテストに向けて全力で立ち向かう時ではないだろうか(少し遅いか?)。ならば何をすべきか?あと残り十日で残された休日は三日しかない。その休日をいかに上手く使うかがこのテストにおいて他人との差を付けるポイントなのではないだろうか。私は、この新しい環境で気持ちを入れ替えて、次のテストに向けて駆けていきたいと思う。