内高1寮生日誌
◎十二月十一日
今日、後期第二中間が終わった。早くも年6回ある定期考査の5つが終わってしまった。もう2018年も終わりに近付き、突如として降り積もった雪はそこはかとない寂しさを感じさせる。さて、このまま第二中間と日頃の生活について述べても良いのだが、それはあまりにもベタ過ぎるので、今回は私が2週間振りくらいに外へ出かけた先の話をしようと思う。まぁ手短に言うと人と出会ったという内容なのだが、順を追うとしよう。まずコープに行った。別に何かある訳ではない。2週間ぶりの外の空気と冬景色が楽しみだっただけの話だ。コープを一通り回った後、大好きな団子屋に立ち寄り、いつも通り“みたらし”を始め、各種2本ずつ購入。ここまではいたって平凡だったのだが、湯倉神社の横断歩道を渡ろうとしたとき、その人に出会った。彼はラ・サール中を辞めてしまった私の旧友である。全くの偶然。忽然と姿を消したため、もう彼には会えないだろうと思っていたので、嬉しかった。背も雰囲気も話し方も間違いなく“彼”だった。横断の最中だったため、長居はできなかったが、それでも他愛のない話をして笑い、「お互い頑張ろうな」とだけ言って、その場を後にした。人格者とは彼の様な人を指すのだろう。しっかり芯の通った心を持つ彼を今でも尊敬する。思ってもみなかった素晴らしい偶然と美味しそうな団子にふと幸せを覚えた一日だった。
◎十二月十二日
ここ数日、雪が降り積もり、濡れたタオルを回すと凍るほどの寒さが続いています。今朝も起きてからあまり気分が良くなく、腹の調子も悪かったので、朝食はお茶漬け一杯だけにしました。少しずつ風邪の人も出てきましたが、もう少しで帰省なので、体調管理に気を付けたいです。 昨日テストが終わりました。今回のテストは数学が難しめでしたが、他はあまり難しくありませんでした。化学の甲子園で上位6名がいないラッキーなテストでした。そのため、十番台の人たちは一桁を目指し、二十番台の人たちは十番台を目指すという上位争いの激しいテストだったと思います。勉強したつもりでしたが、結局いつもとあまり変わらない気がします。 あと9日で帰省です。クリスマスにお正月とイベント多めの冬休みなので、良い息抜きになればいいと思っています。生活リズムが崩れないように気を付けたいです。
◎十二月十四日
今日の授業で2018年の授業は終わった。つまり高1の3分の2が終わったともいえる。なぜか私はこのような節目の日にタイムキーパーになることが多いからか、このような言葉を何回か書いた覚えがある。話を戻そう。2018年も色々な事があった。それはもちろん、私達にも世間にも。例えば、2018年の漢字が「災」という漢字だったように自然災害が多かった。大阪での震度6弱・台風の襲撃、そして何より「北海道胆振東部地震」。これはトイレ、風呂など、私達の生活にも多大な影響を与えた。地震と言えば、私は奥尻島での研修で20年前の「北海道南西沖地震」の惨状を目の当たりにし、驚愕した。このように私のこの1年は、災害についての考え方が一変した1年だった。もちろん約8年前の「3.11」の時も当時の私は相当ショックを受けたが、それは「テレビで被害を見た人の感想」に過ぎない。北海道胆振東部地震は、震源からは遠い場所ではあったが、一被害者であり、私の部屋には震源に近い町の出身者もいる。あらゆる点から見ても、私の2018年はこのような1年だった。来年はどのような1年になるのだろうか?
◎十二月十四日
テストが終わった。今回範囲が狭かったとはいえ、かなり精神的に辛い時期だった。そして明日には帰省する人もいる。自分は講習を受けるために残る。テストが終わり、少し気を抜いてもいい時期だと思うが、しっかりやるべき事はやっていきたいと思うので、講習中もしっかり勉強していきたい。夏休みは、遊び過ぎたせいなのか休み明け後のテストの点数がとても悪かった。今回は英検と模試が休み明けにある。夏休みと同じような結果にならないように毎日少しでも良いから勉強していきたい。そして、もうすぐ文系か理系か、日本史か地理かを選ぶ時期がくる。親としっかり話し合い、最終的には自分で決めていきたい。理系に行くと古典の勉強が大変になると先生が言っていた。今のうちから復習をしなければならない。そのためには冬休みをどう過ごすかが重要になると思う。しっかりとした生活をしていきたい。
◎十二月十八日
函館ラ・サールに入学し、まして寮なんかに入ってしまったのならば、一度は「女子に会いたい」と思ったことがあるはず。むさい男(私もその中の1人ですが)にも飽き、学校の教室に、寮の食堂に、4人部屋に女子がいたらどんなに華やかになるか。今日も雪がずっと降っており、外出する気なんか起きませんが、女子に誘われたら吹雪の中でも外に出てしまう気しかしません。
こんな風に寮や学校に文句を垂らしている私ですが、最近考えたことがあります。果たして実際に学校や寮に女子が居たら、どうなるのだろうか?少なくとも私は、そもそも喋ることができない気がします。私の記憶では同級生の女子と最後に話をしたのは小6の卒業式・・・、いや中1の夏休み・・・、いやいや中2の冬休みに電車で・・・そんなレベルです。また、男子校で4年間鍛えられた私達を年頃の女子たちはどんな目で見るのでしょうか。これでもかと言うほどのチェック、寝癖、無精髭、ラノベを読む、そしてニヤニヤしている、ファッションセンスのなさ・・・あれ、冷静になって考えるとひどいですね、私。よくこれで女子と会いたいなんて言えたもんですね。もしかすると、日々目の敵にしていた男子校というシステムは、私のような人たちを守るために存在していたのではないでしょうか。今のままだと女子に駆逐されてしまうので、何とかするため寮は私たちに猶予を与えてくれているのでしょうか。まさか敵だと思っていた奴が味方だった・・・そんな気分です。まさにコペルニクス的転回ですね(違うか)。それにしても女子に会いたいな。
◎十二月十九日
今日で帰省まで残り2日となった。夏休み明けに帰寮してから今日までに起こった出来事を思い返すと、たくさん思い浮かぶ。その中でも一番印象的だったのは、やはり北海道胆振東部地震だろう。あの日の朝、普段通り6時に朝練に行くために部屋に起こしに来た友達が「水道と電気が使えない」と言ってきた。夜中に起こった地震に気が付かなかった自分は、何を言っているのか、さっぱり分からなかった。その後、状況を理解して、事の重大さに気が付いた。そして、それから約3日間、今まで経験したことのない生活が始まった。自分たちは、いわゆる「被災者」になったのだ。東日本大震災の時も神奈川に住んでいたため、多少の被害はあったが、今回のような電気も水も使えないというのは初めてだった。3日間風呂にも入れず、歯を磨くのにも一苦労。電気がないためテレビも見れない。つまり被災している当事者たちが状況を把握できないのだ。このような生活を経験したことは、この先の人生のどこかで生かされる日が来るかもしれない。
◎十二月二十日
明日ようやく夏休み以来の4ヶ月振りに地元に帰れる。地元に帰ったら毎回驚くことがある。それは、岐阜の街がどんどん変わっていることだ。私が函館にいる間に新しくできた店や逆になくなってしまう店もある。どんどん自分の知っている岐阜ではなくなっている気がする。そういう時に普段自分は函館にいるのだなと思う。また、地元の友達と遊ぶのが楽しみだ。普段連絡も取っていないので、久し振りに会うのが待ち遠しい。冬休みは遊び歩く訳にはいかないので、規則正しい生活を送りたい。そして、リフレッシュすることも大切だと思うが、怠けず勉強もしっかりしなければならない。有意義な冬休みを送りたいと思う。